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なんとなくの思いつきで、Blogのお引越しをいたしました。
新しいアドレスはhttp://medianook.blog113.fc2.com/です。 タイトル等、微妙に変わってるものがありますが、お気になさらず。 引き続き、よろしくお願いします<(__)> yuki_nook #
by yuki_nook
| 2007-07-16 01:57
| |-お知らせ
Al-Jazeera International (AJI)のドキュメンタリー番組WITNESSの紹介があるっていうので行ってきた。
上映されたのは2本。 『Beirut Under Siege』 by Katia Saleh 2006年7月、ロンドン在住ベイルート育ちのKatiaが実家に帰ってる時に起こったのがイスラエルのレバノン侵攻。 数週間後、出国か滞在かの選択を迫られるときが来て、彼女は出国を選ぶんやけど、それまでの数週間、Katiaは地元住人としての立場からカメラをまわした。 レバノンやから。大人たちの頭には、先の10年戦争の記憶が生々しく残ってる。そういう人たちの取る行動とかコメントとか、避難所での子どもたちとか。 Katiaに出国のチャンスが来て、一緒に行こうって頼まれてるのに、自分は残るって言うときの彼女のお母さんとか。 そういうのが。30分間、うわーって迫ってくるフィルム。 『Child Miners』 by Rodrigo Vazquez ボリビアの鉱山で働く子供たちの話。 法的には、18歳以下の子供は働いたらあかん場所やねんけど、父親が亡くなってたり一家の家計を彼等に頼らなあかん状況があったりとかで、15歳の子供が鉱山で働いてるのを、彼等へのインタビューを中心に撮られたもの。 や、知ってはいたんやけどね。 世界には、まだこういう状況の子供が居るっていうのは。 でも、こういうのを、白黒映像とか古い映画っていうのじゃなくて、フルカラーの綺麗なデジタル画面で見るのは、すっごい変な感じやった。 「変」って言うたらまたちゃう気もするんやけど………。 なんてか、『はだしのゲン』(中沢啓治)の実写デジタル版を見てるような感じ。 上映後の質疑応答で、Rodrigoがいくつか説明を足してくれて。 なんつーか、虚無感ていうのか閉塞感っていうのか、そういうのが漂いました。 ◇ WITNESSって、基本的には30分番組で、週にに6本放送されるんよ。 で、番組表を見てたら、それが1日3回あんのね。(AJI番組表) 朝の8時半・夕方4時半・夜の11時半。 多分、世界中のどっかで夜に当たるようにっていう感じなんやろうけど、要は、現地用の番組の組み方っていうのがないってことなんやろうね。 それはともかく、こういうのを毎日見るっていうのは、それはそれで…ねぇ。 なんや、病んできそうな気もするわ。 毎日毎日こういう内容ばっかじゃないかもしれへんけど、今日のは特に、見終わったときの感覚が、『DAYS JAPAN』を読んだ後の脱力と似てて、毎日はきついって……… ◇ 上映会には、AJIの番組編集関係者も来てて。 話を聴いてて思ったのは、AJIっていうのとAl-Jazeera Englishっていうのと、本人さんらのなかでも、結構ごっちゃになってはるみたいね。 最初の頃、「Al-Jazeeraが英語放送を始める」(Al-Jazeera's English Channelとか)って云われてたのが、"Al-Jazeera International"になって、諸々の事情と合わせて、意図的にかなって思ってたけど、そうでもないん感じ? WITNESSの編集方針とかについて話してたおっちゃん。 内容は面白かったしありがたかったです。 でも… なんか、誰かに似てるなぁ、とは思ったんやけどね。最初に。 あれよ。ガキ使のヘイポーさんと坂本教授を足して2で割った感じなんよ。 すんごい真面目な話しの最中にそれに気付いてしまって、 せっかくの彼の名前が飛んでったわよ....ミ(ノ;_ _)ノ =3 #
by yuki_nook
| 2007-03-13 14:12
| ■雑感
BBC NEW24で、PM QUESTIONSを見てるんやけど、
前々から不思議に思ってることがある。 ブレアさんもキャメロンさんも、たまに他の政治家さんもやけど。 みんな、台のところで喋るときの姿勢が関口宏(字、合うてる?)なんよね。 昔の、「クイズ100人に聞きました」のときの関口さんの姿勢。 台のところに片ひじ付いて喋る、あれ。 なんでなんやろ? どうでもいいっちゃぁどうでもいいねんけど。 なんか気になる… #
by yuki_nook
| 2007-03-07 21:25
| ■雑感
最近、『創刊―インディペンデント紙の挑戦』という本を読んだ。
(マイケル クロージャー (著)、 川上 宏 ・ 岩崎 千恵子 (翻訳)、サイマル出版会 ) 原題は『The Making of the "Independent"』。 英インディペンデント紙創刊に関わったメンバーのうちの一人によって書かれたもので、サクセス・ドラマとしても面白いと思った。 これが出版されたのが1991年(原書は1989年)。 同紙がタブロイド判になることなんか想像もしてなかったんやろうなっていう時期に書かれてるし、さすがにこれは古いなっていう話も入ってるんやけど、紙面デザインの細々したところを決める話とか、今でも通じる部分があって興味深かった。 本の中では、通常の記事より長めになるっていうインディペンデントの記事を、読者に長さを感じさせずに読ませるためのデザインの工夫について触れられてる。 字体とか段組数とか、色々あるんやけど、そのうちの一つに、記事の送り(1ページのある枠内に収まりきらへんからっていうので、別ページに続き記事があること)を避けるっていうのがあった。 当時のインディペンデントはまだブランケット版(大きいサイズ。日本の一般紙と同じくらい)やったから、それのせいもあるんかも知れへんけど、ちょっと「ん?」と思った。 現在の英紙のほとんどがタブロイド判になってて、いわゆるブロードシート(高級紙)とされる新聞でも、1面に載せられる記事数も、1記事の長さも限られてる。なもんで、「○ページに続く」っていうのはしょっちゅうあって、でも、それを読みにくなったとは思わへんのよね。 むしろ、通常’死面’と言われてた2ページ目を、巧いこと使うようになったもんやなって感心する。 インディペンデントは、大抵、イメージのみが1面にあって、その詳しい解説なり説明なりが2面に来る。 1面に来るイメージも、面白いのが多くて、他紙と一緒に店頭に並んでるときに、お客さんに対してのアピールはめっちゃある。 ずらっとメッセージを並べられたり、イラク各地での月間死亡者数の図解をバンって出されたりしたら、何の記事やねん?って、とりあえず読んでみたくなるし。 ガーディアンでも、1面記事は大体2~3つくらいで、時々、写真のみの記事もある。 そういう写真記事とか、下の方にある各欄の要約記事とかには、「詳しくは○ページで」っていう誘導が付いてるから、興味あるのがあったらそのページにから読み始めるとか、やりやすい。 で、思ったんやけど。 記事が数ページに跨がんのは、全然良いんよ。 でも、そういうことが滅多にない(はずよね?)日本の新聞は、それでも読みにくい。 何でやろ?って不思議やってんけど、多分、紙上の記事の組み方が、ガタガタやからな気がしてきた。 英紙を読んでると、もちろん、毎日全紙に目を通せてるわけやないけど、一つの記事は、サイズの差とか縦長か横長かっていう差はあるにしても、全部、四角の中に収まってる。つまり、記事と記事の間は、直線で仕切られてるってことで、視覚的にもすっきりしてる。 でも、日本の新聞の場合は、色んな長さの記事を組み合わせなあかんからやと思うけど、色んなとこが出っ張ったり引っ込んだりして、1つの記事の形がパズルのピースみたいにガタガタになってることがある。 こうなってしまうと、視覚的にどうっていうよりも、単純に読みにくい。 で、紙上で迷子になる。 文章の途中で切れてて、それが、次、どこに繋がってってるのか、ほんま見つけにくいときがある。うちだけ? 別にそれが新聞読者を減らすって云うほどのもんでもないんやけど、ちょいちょいイラッってするときがあるんよね。何とかならへんのかな。 #
by yuki_nook
| 2007-02-16 08:12
| ■ニュース・コミュニケーション
大学のクラスメートが『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』を見たそうで。
面白いから見てみ!と言われても、なんせ、”アニメ”に興味がないからなぁ、、、すまんが(--; 見てないものに関して言うのもなんやけど、 こういう戦闘ものアニメ(?ヒーローものでもなんでもいいんやけど)が、 今も昔も、ずーっと人気なのには、なんか、意味があるんかも、とふと思った。 友人曰く、攻殻機動隊は、ヴァーチャル・コミュニケーションを巧いこと描いてるそうで。 最近、これこそが思い違いかも、と思わんでもないけど、 ヴァーチャル・ソサイエティーとか、サイバー・スペースと呼ばれるものは、 所謂民主的社会の発展というような期待を背負ってるはずで、 ネットの匿名性や双方性というものに関する議論なんかは、 基本的には(建前として?)、民主的ということを軸としてされてきている。 でも、未来を描く映画やアニメ(サイバーものに限らず)には、 一権力による支配を前提とする、民主的社会からは遠いものが多い気がする。 で、そーゆーのが、日本のサブカルというブランド・タグと一緒に 世界的規模で支持されてたり。 戦闘がベースとなるストリー上、そういうもんやと考えられてるだけなんかもしれんけど、 なーんとなく、みんな、そーゆー世界の方が良いと思ってる部分があるのかなぁ、とも思う。 ある程度の自由を担保に支配されるっていうのは、ラクといえばラクな状態やろうし。 アニメ世界のように極端なとこまでいかんくても、 普段の生活の中で、なんか、どっか1ヶ所からの統制を受けてるような気がすることがある。 技術の話はよくわからんけど、例えば、 街中どこでもワイヤレスでネットが使えるようになるってことは、 その街に居る人たち全員が共有するシステムが確立されたっていうことで、 それ自体は、物事便利になってラッキーやし、良いねんけど、 要は、そのシステムを管理する一社か一団体だかがあって、 そんな意図は無いかもしれへんけど、結果として、 そのネットワークの利用者全員が、そこには逆らえません! っていうような状態が作られてしまってる、っていうのは穿ち過ぎ? そーゆー危険性が考えられる以上、それを回避できるように 新しい法律ができてたりとかするんかもしれへんけど。。。 なんにせよ、社会の一括統制(支配?)っていうのは、 技術的には可能になりつつあって、 民主的社会を隠れ蓑にしながらそれを実現するのも、 そないに難しいことではないような気がする。 ………既に始まってたりして(^-^; #
by yuki_nook
| 2006-09-18 14:48
| ■雑感
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